2000-01-01から1年間の記事一覧

 9 コスモポリタン

わたしがパリに滞在している間の目標は、パリの街に溶け込み、パリの市民になることでした。 パリでの最終日。わたしは、地下鉄やRERに乗ることにすっかりなれ、どこへでも自由に行けるようになっていました。 パリは、いろいろな人種の住んでいる都市で…

 10 さよなら モン・サン・ミッシェル

2000年12月29日夕方。歩く歩道のチューブが空中で交差する円形の近未来的なシャルル・ド・ゴール空港。わたしは、搭乗手続きをするためにターミナル1のロビーで待っていました。近くにはいろいろなお店がならんでいます。わたしは、フランスに来た記念にな…

 6 オルセー美術館までの道

わたしがパリで泊まっていたホテルは、パリをエスカルゴの形に例えると、ちょうどエスカルゴの下の葉っぱのところにある「イビス ポルト ドゥ ジャンティーイ」という長い名前のホテルでした。パリの環状高速道路のすぐ外側にあり、ホテルの窓から環状道路が…

 7 ミュゼ・ドルセー

オルセー美術館は、フランス語で「ミュゼ・ドルセー」と呼ばれています。当初、この建物はパリとジャンヌ・ダルクの故郷のオルレアンを結ぶ鉄道の駅で、しかもホテルつきのパリ中央駅でした。建物につけられている2つの大時計には「パリ〜オルレアン」と今…

 8 メゾン・デュ・ショコラ

わたしは、旅行に行くとおみやげはあまり買わないほうですが、今回妻に、お世話になっている人に贈るためのチョコレートを「メゾン・デュ・ショコラ」という店で5箱買ってくるように言われたので、その店をさがさなければなりませんでした。「メゾン・デュ…

 4 ルーブル郵便局

フランスに来て4日目は、パリの市内観光の日でした。バスに乗って、パリ市内の観光地をガイドさんに案内してもらって巡りました。フランスに来て、今日までずっと雨が降り続いています。冷たい雨の中をノートルダム大聖堂やコンコルド広場やエッフェル塔な…

 5 エスカルゴのディナー

タクシー乗り場に着くと、5分もしないうちに一人のタクシー運転手に声をかけられました。彼は、アフリカ系フランス人でした。わたしは、タクシーに乗り込むと 「モンマルトル。」 と言って、レストランの名前と住所と電話番号が書いてあるメモを彼にわたし…

 3 モン・サン・ミッシェルの固い握手

12月26日。今日は、いよいよモン・サン・ミッシェルに出かける日です。わたしは、バスに乗って、朝7時にトゥールを出発しました。目指すモン・サン・ミッシェルまでは、約 200㎞。バスは暗やみの中を突き進みます。この時期のフランスは、朝の9時近くまで…

 2 トゥールのクリスマス

2日目は、パリの南西部のロワール地方にバスで向かいました。途中、ジャンヌ・ダルクで知られるオルレアンを通り、15世紀から16世紀に建てられたシャンボール城(世界遺産)やブロア城やシュノンソー城を見て、パリから約200km離れたトゥールに到着しました…

 1 思わぬフランス行き

2000年12月24日夜。美しく輝くエッフェル塔の2000年を記念したイルミネーションが、ビルの間から見え隠れしています。わたしは、シャルル=ドゴール空港からパリ郊外のホテルに向かうバスの中にいました。 一度も行きたいと思うことがなかったフランスへの取…

雨の中の七頭舞

「6年生の七頭舞のとき、雨が降ってきてしまったけれど、それがかえって、暗雲の中から竜が天に昇るような感じがして、本当にすばらしい七頭舞になりました。」 運動会が終わったあとの職員の打ち合わせ。校長先生のあいさつの言葉だった。それを聞いて、6…

 おわりに 〜夢に向かって 〜

1997年秋。今回の旅はこのころから始まっていました。 この時、テレビで『深夜特急』というスペシャル・ドラマが放送されていました。このドラマの主人公でもある沢木耕太郎の原作の紀行文をドラマ化したもので、インドのデリーからイギリスのロンドンまで乗…

 10 2000年の東ヨーロッパから日本へ

いよいよプラハを出発する日が来ました。この日は、また、ウィーンまで5時間バスに揺られるため、朝の5時20分にホテルのロビーに集合し、そこで簡単な朝食をとりました。5時30分に2日間過ごしたホテルデュオを出発しました。 暗闇の中、ヴルタヴァ川を渡り、…

 9 『プラハの春』とスメタナ

チェコという国は、他の国に支配されていた時代が長かった国です。1749年から約70年間はオーストリアに、1938年から7年間はドイツに支配されていました。その間、チェコ語という自分たちの言葉がありながら、ドイツ語を強制されていたそうです。日本でなじみ…

 8 美しく危険な街・プラハ

バスは雪野原の中の道路をプラハに向かっていました。オーストリアとチェコの国境で日本円をコルナに両替し、国境近くのドライブインで休憩しました。チェコでは、おなかをこわすため水道の水は飲まないように言われていたので、ここで水を買うことにしまし…

 7 『三王来朝の日』

出だしは悲惨なものでしたが、ウィーンは本当にすごいところです。建築、美術、音楽など歴史的に価値のあるものがたくさんあり、見どころがいっぱいです。 6世紀以上にわたってハプスブルグ王家が住んでいた王宮。「ウィーンの心臓」として市民から愛されて…

 6 冷たい風が吹くウィーン

東ヨーロッパに来て3日目。バスはブダペストからオーストリアの首都、ウィーンに向かっていました。再び、料金所のような出入国管理所を通って、オーストリア国内に入りました。バスの中では、第2の国歌とまで言われるほどオーストリアの国民に親しまれて…

 5 人の心にふれたブダペストの夜

ブダペストは、人口の約200万人のハンガリーの首都です。ドナウ川をはさんで、王宮のある古い町のブダと新しい町のペストに分かれています。「ドナウのバラ」とか「ドナウの真珠」などと呼ばれるほど、景色の美しい街です。問題4 ブダペストには、ハンガリー…

 1 時差

2000年1月3日(月)、午前11時25分。オーストリア航空556便は、成田空港からウィーンのシュベヒャート空港に向けて飛び立ちました。日本から日本海を北上し、シベリアからモスクワ上空を飛行し、ウィーンに到着する経路です。つまり、太陽の動きと同じ方向に…

 2 国境を越える

国境とは、字の通り国と国との境目のことです。日本は海に囲まれているので、海を渡ると国境を越えたことになります。日本から国境を越えるには、成田空港でパスポートを見せ、出国審査を受け、スタンプを押してもらってから飛行機に乗ります。ウィーンのシ…

 3 両替する

ヨーロッパの国々の国境を越えて、違う国に来たのだなあと実感するのは、お金が変わることです。そして、国によって日本の円とのレートがみんなちがっているのです。オーストリアではシリング(1シリング=約8.3円)、ハンガリーではフォリント(1フォリン…

 4 ハンガリッシュ・スタイル・スパゲティ

1月3日(月)ヨーロッパ時間の午後8時。日本を出発して約17時間後にようやくハンガリーのブダペストに着きました。これから二泊する予定のホテルは、『グランドホテル・ハンガリア』。にぎやかな街中にあり、四つ星のまあまあの大型ホテルです。 約24時間寝…

 はじめに

1999年8月。自宅の近くの図書館に行ったら、『東欧見聞録―民主化の嵐のあとで(佐藤 健・毎日新聞社)』という本を見つけました。ぼくは、その本のタイトルにひかれ、すぐに読み始めました。東欧見聞録―民主化の嵐のあとで作者: 佐藤健出版社/メーカー: 毎日…