8 メゾン・デュ・ショコラ

オルセー美術館


 わたしは、旅行に行くとおみやげはあまり買わないほうですが、今回妻に、お世話になっている人に贈るためのチョコレートを「メゾン・デュ・ショコラ」という店で5箱買ってくるように言われたので、その店をさがさなければなりませんでした。「メゾン・デュショコラ」のチョコレートは、パリでも5本の指に入るほどのおいしさで、まだ日本ではどこにも売っていないことが、ガイドブックには書かれてありました。わたしは、チョコレート5箱くらいなら、持ち帰るのも楽だと思って、パリの自由行動の今日、買おうと決めていました。

 オルセー美術館を出たわたしは、昨日雨で上の方が見えなかったエッフェル塔凱旋門シャンゼリゼ通りとマドレーヌ教会、高崎にある店の名前に使われているサントノーレ通りを見学し、夜になったら、再びシャンゼリゼに行って、イルミネーションを見ようと思っていました。

 オルセー通りからエッフェル塔までは、少し遠いけれど、セーヌ川ぞいを見学しながら歩いていこうと思って歩き始めましたが、5日間の旅の疲れが出て、足が痛くなってきたので、やはり、地下鉄かRERで行こうと思いました。電車に乗るのはまだ2回目。なるべく一つの線だけ走っていて、単純な構造の駅を選んで、そこから乗ろうと思いました。

 地図を見ると、国会議事堂の裏の方にシャン・ド・マル・トゥール・エッフェル駅につながるRERのC線の駅があります。わたしは、セーヌ川の河岸からその駅に行くためにギリシャの神殿風の国会議事堂に向かいました。しばらく歩いて、地下の駅に着くとそこは、アンヴァリッド駅でした。「アンヴァリッド」とは、国王ルイ14世が戦争で傷ついた兵士を収容するために建設した廃兵院で、現在は軍事博物館と教会になっていて、地下にはナポレオンの墓があるところです。

 アンヴァリッド駅に着いたわたしは、エッフェル塔に行く電車に乗るため駅の看板を見ました。看板は全部フランス語なのでまったく意味が分かりません。ただ「RER−C」の表示だけをたよりにホームをさがしました。ところが、この駅は単純構造の駅ではなくRERC線と地下鉄8号線と13号線の3つの線が交差するとても複雑な駅だったのです。わたしは、「RER−C」の表示の通りに進んだものの、行き先がまったく分からなくなり、同じところを3往復してもまだ分からない状態で、途方に暮れて駅の改札のところで立っていました。

 すると、駅員の人が親切にも声をかけてくれて、トゥール・エッフェル駅に行く電車が出発するホームを、教えてくれました。そして、わたしは30分くらいかけてやっと目的の電車に乗ることができました。わたしは、この駅はとてもむずかしいと思ったので、二度と「アンヴァリッド駅」から電車には乗るまいと思いました。

 シャン・ド・マル・トゥール・エッフェル駅は、アンヴァリッド駅から二つ目の駅なので、すぐに着きました。駅の階段を昇って少し歩くと、そこはもうエッフェル塔です。わたしの目的は、エッフェル塔の展望台に昇ってパリの眺望を楽しむことでした。エッフェル塔は1889年の万国博覧会のために建造されたパリのシンボルで、高さは約 320mあります。

 エッフェル塔に向かう人々の波について行くと、そこには、エッフェル塔に昇るために待っている人の長い行列がありました。わたしは、まだこれから行こうと思っているところがたくさんあるので、エッフェル塔に昇るのはあきらめて、セーヌ川対岸のシャイヨー宮からエッフェル塔を眺めて、そこから地下鉄に乗って、凱旋門のあるシャルル・ド・ゴール広場に地下鉄で向かおうと思いました。パリは、久しぶりに晴れ上がり、クリスマス休暇ともあって、どこにいっても休日を楽しむ人々でごった返していました。

 シャルル・ド・ゴール広場に着いて、その真ん中にある凱旋門の下まで行こうと思いました。シャルル・ド・ゴール広場は、エトワール(星)広場の愛称で親しまれているところで、12本の通りが放射状に延びた様子は、上空から見るとまるで星のようだそうです。その広場の中央に位置する凱旋門の下に行くのには、どこを通って行くのか迷いながら、ぼくが放射状の道路をいくつか横切りながら歩いて行くと、地下道がありました。地下道を通って行くと、凱旋門の下に出られました。凱旋門は、1806年フランス軍の栄光をたたえるため、ナポレオンの命令によって建てられました。完成はナポレオンの死後の1836年。壁にはフランス軍の戦いぶりを描いた浮き彫りでかざられています。ぼくは、ここでも上に昇りたいと思っていましたが、やっぱり行列ができていたのであきらめました。

 凱旋門をあとにして、わたしはシャンゼリゼ通りを歩き始めました。シャンゼリゼ通りは、1616年アンリ4世の妃が作らせた女王の散歩道で、ナポレオン3世の時代に道幅が広げられた全長2㎞、幅 100mの並木道です。ここも、人、人、人。高級店がたくさん立ち並んでいるけれど、わたしには興味がなく、足早に通り過ぎました。ルイヴィトンの店には、日本人観光客の行列でき、不思議な光景でした。そんなことより、大通りから南に入ったところにある「メゾン・デュ・ショコラ」をさがさければならないわたしは、CDショップによっただけで、シャンゼリゼに別れを告げました。
「暗くなったら、また来ます。」

 シャンゼリゼ通りからピエール・シャロン通りに曲がって行き、しばらく歩くと「メゾン・デュ・ショコラ」の店がありました。まだ、午後の3時半。これから他のところに行くけれど、チョコレート5箱くらいなら持って歩いてもだいじょうぶだと思いました。また、せっかく探し当てた店なので、チョコレートを買おうと思い、店の中に入りました。

 店の中に入ると、高級感あふれる雰囲気がただよい、さすがパリの中で5本の指に入るほどの有名な店という感じです。そして、日本人の店員も二人いることにも気がつきました。わたしは、今朝のトイレ騒動からほとんど日本語を使うことなく、外国の人々の中で気を張って過ごしてきたので、日本人の店員を見たとたん、とても安心したような気持ちになりました。そして、わたしは、日本人の店員と日本語で話をし始めました。
「日本の方がいてくれて助かります。」
とわたしが言うと、日本人の店員は
「何かお役に立てれば幸いです。」
と言ってくれました。わたしは、日本人の店員がいるということは、パリにしかないこの店は、日本人に人気があるのだと思い、
「このお店は日本人のお客さんが多いのですか。」
と店員に聞いてみました。すると、店員の意外な答えが帰って来ました。
「最近は、少なくなっているんですよ。」
わたしは、なぜ日本人のお客が少なくなっているのか不思議に思いましたが、それ以上は質問せずに、おみやげのチョコレートを選び始めました。

 店員は、チョコレートの詰め合わせをすすめてくれました。見本をみると、箱の大きさがいくつもありました。中には、学校の児童用の机の広さくらいの箱もありましたが、わたしは、小さいほうから2番目(たて10㎝・横15㎝・高さ8㎝くらい)の、片手の手のひらに乗るくらいの大きさの箱の詰め合わせを買うことに決めました。「これを、5つ下さい。」と日本語で日本人の店員に言うと、会計のところでお金を支払うように言われました。そして、わたしはレジのフランス人の店員のところに行って、クレジットカードで支払うためにサインをしました。

 その後すぐに、買ったチョコレートが二つの袋に入れられて、わたしに渡されました。その袋を持ったとたん
『うっ、重い。しまった。今買うんじゃなかった。』
とわたしは心の中で思ったけれど、何くわぬ顔をして店員にあいさつをして「メゾン・デュ・ショコラ」の店を出ました。
『チョコレートがこんな重いとは思わなかった。』
と買ったことを後悔しながら歩いていると、袋の中にチョコレートの箱が6こ入っていることに気がつきました。日本人の店員に日本語で注文したのに数を間違えられてしまい、わたしはとてもショックを受けました。でも、
『まあパリでしか買えない貴重なチョコだから、1つくらい多くてもいいや。』
と思いわたしはまた歩き始めました。歩きながら、すごく重いので買うときには考えなかったチョコの重量を頭の中で計算しました。
『確か、1箱が1㎏より少し多かったかもしれないから、6箱で7㎏ちかい。これじゃあ、ダンベル運動をしているようなものだ。』
わたしは改めて、重さを計算して、びっくりしました。
『これから夜まで見学しようと思っている場所があるのに、7㎏ものチョコレートを持って、どうしよう。』
わたしは、チョコレートを甘く見ていたと思い、今買ったことを後悔しました。

そして、今度はチョコレートの値段が気になり出しました。わたしは、重いチョコを持ちながら立ち止まって、クレジットカードのレシートを見てみました。すると、やはり値段は6個分になっています。1箱の値段を見てみると 321フランと書いてあります。その日のレートは、1フランは約18円です。日本円に直すと、なんと1箱は約6000円、6箱で約 36000円ということになります。わたしは、
『いくら高級でも、こんな小さな箱のチョコレートなんて、高くても2000円くらいだろう。』
と勝手に思い込んでいたので、買うときには、値段など気にも止めませんでした。わたしは、三重のショックにぼう然と立ち尽くしていました。
『少ない収入の中から、やっとの思いでこの旅行費を作り出したのに、チョコレートごときに 36000円。』
帰ってからの支払いのことを思うと、考えが浅はかだったと思いました。でも、もう買ってしまったので、しかたありません。

 わたしは、もうあまりのショックで、今どこを通っていて、どこへ向かっているかもわからない状態で、トボトボと歩いていました。ダンベル運動のうでは、ますます疲れていきます。足は、朝から歩き続けているので、棒のようです。
『ああ、とんでもないことになってしまった。』

 しばらく、歩きつづけると、セーヌ川のほとりまでたどり着きました。よく見ると、イギリスのダイアナ妃の事故現場の近くまで来ていました。セーヌ川沿いの道路が地下にもぐり込んだところです。ここで亡くなったダイアナ妃に捧げるために、今も花が供えられています。ぼくは、
『なぜこんなところで事故にあってしまったのだろう。』
と、チョコの重さも忘れ、考え込みました。そして、あの事故の原因について不審に思っていたので、探偵になったような気分でその原因を究明してみたくなりました。
『そうだ。あの事故の出発地点。ホテル・リッツに行ってみよう。』
わたしは、買ってしまったチョコレートのことはもう仕方がないと思い、ヴァン・ドーム広場にある超一流ホテル「リッツ」に向かおうとしました。でも、歩きはじめると、チョコの入った袋がうでに食い込み、やはりとても痛いのです。

 時間はまだ4時を回ったばかりでした。
『やっぱり、一度ホテルにもどろう。そして、この重い荷物を置いてから、もう一度来よう。』
と決めました。もうこの重い荷物を持って歩くのもいやになっていたので、一番近い駅を地図で探すと、あの「アンヴァリッド駅」がセーヌ川をはさんで向こう側にあります。構造が複雑なため「迷うからもう二度とこの駅で電車に乗るまい。」と決めていたわたしは、これ以上チョコを持って歩く気力もなくなっていたので、しかたなく「アンヴァリッド駅」から電車に乗ることにしました。 アレクサンドル三世橋を渡り、駅に降りて行くと、やはりまた迷ってしまいました。改札口のところに立っていると、今度はいくら待っても、駅員は声をかけてくれません。ぼくは、しかたなく、切符売場の窓口に行ってジャンティーユ駅に行くホームを聞き、やっとホテルに向かう電車に乗りました。電車はまだすいていたので、よかったです。

 ホテルに着くと、ピエール・シャロン通りからやっとの思いで運んできた重さ7㎏で、6個 36000円のチョコレートをトランクに入れ、しっかりとかぎをしめ、暗くなるのを待ちました。少し休息も取れたので、夜のパリの街に向かって出発しました。

 初めに向かったのは、TDのFUSHIMIさんが「ぜひ見てください。」と言っていた、イルミーネーションに輝くシャンゼリゼ通りでした。暗くなってからも、家族連れやカップルなどの人々で通りはにぎわっています。通りを渡りながら、道路の彼方を見ると、光に照らされた凱旋門が見えます。一人で歩いているのは、わたしぐらいでしたが、光に包まれた美しいシャンゼリゼ通りをながめながら、パリの最後の夜を楽しみました。

 身軽になったわたしは、凱旋門からコンコルド広場まで全部歩いた後、ギリシア建築のマドレーヌ聖堂を見て、ヴァンドーム広場に向かいました。ヴァンドーム広場に着くと、ホテル・リッツの玄関は、周囲よりも特に明るく輝いていました。「あそこが、パパラッチの追跡からのがれながらダイアナ妃が車に乗って出発した場所。」わたしは、中に入ろうと思って、恐る恐る近づいて行きました。入口の所には、マントを着たボーイさんが立っています。そして、ホテルの中は超豪華な感じで、わたしのような貧しい旅行者が入れるような雰囲気ではありません。わたしは、迷った末、ホテル・リッツに入ることをあきらめ、ヴァンドーム広場を後にしました。そして、サントノーレ通りを通り、夜のルーブル美術館のところから地下鉄に乗ってホテルに帰りました。

(『コスモポリタン』につづく)