4 ルーブル郵便局

 フランスに来て4日目は、パリの市内観光の日でした。バスに乗って、パリ市内の観光地をガイドさんに案内してもらって巡りました。フランスに来て、今日までずっと雨が降り続いています。冷たい雨の中をノートルダム大聖堂コンコルド広場やエッフェル塔などを見学しました。

 ノートルダム大聖堂は、セーヌ川シテ島に12世紀の着工から約 200年かけて建てられた初期ゴシック建築を代表するカトリックの聖堂です。コンコルド広場のオベリスクは、3300年前に古代エジプトで作られ、フランスに贈られたものです。また、コンコルド広場は、ルイ16世マリー・アントワネットが革命の時に処刑された場所です。どこを見学しても、フランスの歴史を肌で感じられる場所ばかりでした。

 そして、午後はいよいよルーブル美術館の見学です。クリスマス休暇のためか、ルーブル美術館の入口は長蛇の列になっていて入るまでに時間がかかりそうです。しかし、わたしたち、団体客は予約してあったためすぐに美術館に入場することができました。世界的に有名な「ミロのヴィーナス」やダ・ヴィンチの「モナリザ」、ドラクロワの「民衆を率いる自由の女神」、ダヴィッドの「ナポレオンの戴冠式」など、高校の歴史や美術の教科書に出てくるような作品ばかりが展示されていました。その他にも、貴重な作品ばかりがたくさん展示されていて、一日ではとても見ることができないほどの広さです。

 けれども、わたしたちのツアーの見学時間はたったの2時間余り、ガイドさんに特に有名な作品だけを案内してもらっただけで、バスにもどらなければなりません。ぼくは、せっかくこのルーブル美術館に来たのだから、もう少し見学していたいと思いました。でも、これからの予定はバスに乗って、いったんホテルにもどって、また、市内のレストランに行くことになっています。同じツアーの他のお客さんの中には、このままルーブルに残って見学したあと、直接、夕食を食べる予定のレストランにタクシーで向かうことにした人もいました。そこで、わたしもルーブルに残って、夕食の時間までにタクシーでレストランにむかうことにして、大きな荷物を他のお客さんに預けました。そして、TDのFUSHIMIさんにレストランの名前と住所と電話番号を聞いて、バスの中の人たちと別れ、ルーブル美術館にもどりました。

 そして、わたしは、ルーブル美術館の中の郵便局を探して、日本の家族や友人に絵はがきを送るための切手を買うことにしました。ブルーの光が目印の郵便局に着くと、わたしは、郵便局の男性職員の窓口に行きました。まったく言葉の勉強をしてこなかったわたしはフランス語で何と言っていいかわからず、片言の英語で
「スタンプ・プリーズ(切手を下さい。)トゥ ジャパン(日本へ出すための)」
と職員の人に話しかけました。

 すると、郵便局の年配の職員の人が片言の日本語で、絵はがきを切手つきの封筒で送ると安いことやミレニアムの記念切手があることをなど、とてもていねいに教えてくれました。そして、郵便局はそれほどすいていたわけでもないのに、モタモタ考えているぼくに腹を立てることなくやさしい顔つきで答えを待っていてくれました。結局、わたしは記念切手を買うことにしてお金をはらい、郵便局を後にしました。その郵便局の男性職員がとてもやさしくて親切だったので、とてもすがすがしい気持ちで美術館へもどりました。

 今夜のディナーは、フランスに来て初めてのフランス料理のエスカルゴです。午後7時までにモンマルトルにある「シェ・バブ」というレストランに行けばいいので、わたしは6時過ぎまでゆっくりと美術館の見学をしようと、再入場しました。ルーブル美術館は、水曜日なので夜9時45分まで開いています。4時過ぎでも中はまだまだお客でごった返しています。ガイドさんがいなくなり、一人で美術館の中を見学していると、パンフレットを見ても、中が広すぎて、今、自分がどこにいるのかさっぱり分かりません。また、ルーブル美術館の内部は複雑で、まるで迷路の中に迷い込んだようで、同じような場所をグルグルと回っているだけで、思うように行きたい場所へは行けませんでした。

 エジプト文明メソポタミア文明の展示物、ナポレオンの住んでいた部屋、オランダの絵画など迷いながらも何とか自力で見ることができました。それでも、美術館の全作品の四分の一も見ることができません。

ある絵画の部屋を見ていると、同じツアーに参加していた家族に偶然出会いました。その人たちは、早めにタクシーに乗ってモンマルトルに向かおうと思ったけれど、雨のせいか、タクシーがいつになってもつかまらないというのでもう一度美術館にもどってきたということでした。そして、わたしは彼らの話を聞いて、タクシーのことがとても心配になりました。

 わたしは、また一人になると、タクシーはどこで乗るかも知らないことに気がつきました。そうなると、もう美術館見学どころではありません。そういえば、ガイドブックや地図もバスに乗って帰った同じツアーの人にたのんで持って行ってもらった荷物に入れたままです。周りにいる人たちは、フランス国内や外国から来た観光客ばかりで、だれにタクシー乗り場を聞いたらいいか分かりません。案内所もあるようだけれど、フランス語ではどう言ったらいいのかと考えると、どうしても質問する勇気がありません。わたしは、途方に暮れて、あっちへウロウロ、こっちへウロウロ歩き回り、心はあせるばかりで、ただ時間だけが過ぎて行くのでした。
『タクシーに乗れなくて、夕食の時間に遅れたらどうしよう。地下鉄は乗り方も知らないし、第一どの駅で降りればいいかも分からない。ホテルにもどるにも、今日一日バスに乗っているだけだったので、ホテルにもどる道もわからない。ああどうしよう。』
と、ルーブル美術館に残ったことを後悔しながら、ただたたずんでいると、ふとあの片言の日本語を話した親切な郵便局員さんのことを思い出しました。そして、思いつくやいなや、あの郵便局に飛び込んで、わたしは頼りの窓口に顔を出しました。
「すみません。タクシーはどこで乗ればいいですか。」
とゆっくりと日本語で郵便局員さんにたずねました。すると、彼は、自分の仕事をやめ、ていねいにタクシー乗り場を教え始めました。彼の説明はとてもていねいだったけれど、よく聞いていてもぼくには、タクシー乗り場がどこにあるのか分かりません。地図もガイドブックもありませんから、通りの名前を言われても、広場の名前を言われてもまったくぼくには分からなかったのです。すると、彼はあきらめずに、ていねいに地図を書き始めました。地図を描きながら、自分の仕事も忘れ、わたしに粘り強くタクシー乗り場のある場所を教えてくれました。わたしは、何となくわかったので、行ってみることに決め、親切な郵便局員さんに
「どうもありがとうございました。」
と日本語でていねいにお礼を行って、タクシー乗り場に向かいました。この時、わたしは、親切なパリの郵便局員さんに心から感謝しました。

 タクシー乗り場は、ルーブル美術館の北側のオペラ通りを少し歩いたところにありました。タクシー乗り場の看板のところでタクシーが来るのを待っていると、ふと次の心配ごとが、頭に浮かんで来ました。

プラハのタクシーは危ないと聞いていたけれど、パリのタクシーはだいじょうぶなのだろうか??。」

(『エスカルゴのディナー』につづく)