雨の中の七頭舞

「6年生の七頭舞のとき、雨が降ってきてしまったけれど、それがかえって、暗雲の中から竜が天に昇るような感じがして、本当にすばらしい七頭舞になりました。」

 運動会が終わったあとの職員の打ち合わせ。校長先生のあいさつの言葉だった。それを聞いて、6年の担任はみな、ニヤッと笑った。「運動会がやっと終わった。」という安堵感でいっぱいだったわたしの心には、校長先生の言葉を聞いた直後から今日までのいろいろな場面がよみがえってきた。

 2000年4月、6年新担任が顔を合わせて間もなく、「運動会は七頭舞ね。」と何となく決まっていった。総監督・レイコ、プロデューサー・キョウコ、コーチ・タエコ、太鼓・CAT。こうして、役割も自然に決まっていった。

 練習は1学期後半から始まった。一度も七頭舞を指導したことがないタエココーチは、休日に七頭舞の講習会が開かれるたびに参加し、踊り方を教わり、家に帰って何度も練習して、学校で子どもたちに踊って見せながら教えた。また、夏休みの猛暑の中、他校の先生方との練習会に何度となく参加し、迫力のある七頭舞の踊りをマスターしていった。6年の担任の中で踊り方を教えられるのは、タエココーチ以外になかった。

 2学期に入り、「横バネ」、「三足」、「切り合い」とタエココーチの指導が続いた。子どもたちは、休み時間や帰宅後に何度も練習して、教わった踊りを身につけようとがんばっていた。太鼓のCATは、子どもたちの踊りの練習に合わせながら、太鼓を打ち、練習を重ねていった。

 練習が始まって第2週目に、急きょ予定していなかった「ツットウツ」をやることになった。決定したものの指導するのはタエココーチ。あの難しい、体力のいる「ツットウツ」を子どもたちに教え込むには、たいへんな苦労がいる。タエココーチは、朝晩猛練習をして「ツットウツ」を自分自身で踊れるようにした。子どもたちもタエココーチの熱意に応えて、一生懸命覚えた。

 運動会に向けての最後の週、いよいよ校庭での通し練習が始まった。一つ一つの踊りをマスターしてきた子どもたちは多いけれど、演技の流れを覚えて通して踊るのはとても苦労がいった。また、これまで6年全体の練習以外に各クラスとも特訓を重ね、多くの子は踊れるようになったが、まだ運動会に気持ちを向けられなかったり、踊り方がよくわからなかったりする子も少なくなかった。9月25日(月)放課後の体育館、レイコ監督とキョウコプロデューサーによる踊りの個別チェックが行われ、マスターしていない子に対する粘り強い指導が続けられた。みんな何度も何度も繰り返し繰り返し、歯をくいしばって練習をした。

 通し練習を始めて、一番問題なのはCATの太鼓だった。細切れの踊りの練習の時は、太鼓をたたけたけど、老化が始まっていたCATの悩の中には最初から最後まで踊りの流れがなかなか入って行かなかった。太鼓をたたきながら、次の踊りを思い出せず何度も止まった。あせっては間違い、間違えてはあせり、その心の状態が腕に伝わって、腕もかたくなり動かなくなっていった。それでも、踊りの流れを忠実に覚えていった子どもたちは、太鼓の失敗に関係なく踊り続けた。

 9月28日(木)運動会の2日前。土曜日扱いで3時間授業。6年の校庭練習の時間はない。3校時に体育館を借りて踊りのチェックを行った。「ツットウツ」を入れたことにより力強さが感じられなくなってしまったクライマックスに踊る「三足」。キョウコプロデューサーの提案により、最後の最後になって「飛び込み三足」に改良するための練習をおこなった。この練習により「ツットウツ」におとらない力強い「飛び込み三足」が完成。通し練習も子どもたちの気迫のこもったいい踊りが見られ、前日の最終練習を残すだけとなった。

 ところが、運動会前日の最後の練習。きのうとは打って変わっての力強さの感じられない踊り。時間の関係で1回だけで終わる予定だった通し練習だったが、担任たちが最後の思いを子どもたちに伝え、本当の最後の練習を行った。何とか完成し、全ての練習を終えた。しかし、CATの太鼓への不安は本番まで残った。

 2000年9月30日午後。5年の組立表現「宇宙旅行」が始まってから、ポツポツと雨が降り始め、6年の「七頭舞」が始まるまでに少しずつ雨足が速まっていった。いよいよ本番の時が来た。老化現象の太鼓のCATは全神経を太鼓に集中して、ゆっくり落ちついて太鼓をたたく決心をして「七頭舞」の演技を開始した。

「チラシ」よる入場。順番にあいさつをし、腰を落とし前進し、そんきょの姿勢で待つ。声に定評がある横山の力強い「踊る!」の声に合わせ、全員がそろって構える。最初の方形により演技。「横バネ」から「切り合い」、4人から20人へ、そして全員による「ツットウツ」。いつも練習の時に太鼓をまちがえてばかりいた「後の切り合い」。今日は何とかつながった。そして、円形になって踊る。

 CATの太鼓につかれが見えはじめたけれど、何とか踏ん張り、「ツットウツ」へ。「ん、一つぬかした。」と思ったが、何事もなかったように2度目の「後の切り合い」へつなげる。最後の難関を終えようとしたその瞬間、両方の太鼓のばちがぶつかり合い、右手のばちがスルッと手から離れ、太鼓の「ダンツコツコ」が止まる。それでも、練習で何度も太鼓が止まるのになれている子どもたちは、たじろぐことなく踊り続ける。そして、円形の演技が何とか終わる。

 いよいよ2日前にマスターしたクライマックスの「飛び込み三足」だ。方形の真ん中から両側へ踊りが移っていく。キョウコプロデューサーとタエココーチの太鼓が加わり、全員が後ろを向いて踊る。となりのタエココーチの太鼓が、「もっと速く打て、もっと速く打て。」と勢いを上げる。それを感じ、CATの太鼓も激しさを増す。雨は踊りとともに激しく降ってくる。いよいよ最後の「三足」。踊りの激しさは頂点に達し、「ダンツットツ」。

 ついに構想6か月。製作1.5か月の6年の「七頭舞」は完成した。その時、雨はますます激しくなっていた。

 子どもたちの退場する後ろ姿には、太鼓が止まろうと雨が降ろうと動揺することなく踊り続ける彼らの心の強さが表れていた。激しい雨の中、刀を高く天に向け踊る6年の子どもたちは、この日、大きな大きな竜になった。どこまでも空高く登っていく竜になった。

 職員室を出ようとするとレイコ総監督が、「1、2年生のみんなにも6年の子どもたちのこの七頭舞を見てもらいたかった。」と言った。わたしは、レイコ総監督の七頭舞にかけた熱意と6年の子どもたちのへの愛情を感じながら、わたしは家路についた。(終わり)


 ご家族のみなさん、「応援メッセージ」をはじめとする温かいご声援をありがとうご ざいました。みなさんの後押しにより、どんなことが起きても前進する力強さを子どもたちは身につけるとができたと思います。これからもよろしくお願いします。