8 美しく危険な街・プラハ

旧市庁舎の天文時計

 バスは雪野原の中の道路をプラハに向かっていました。オーストリアチェコの国境で日本円をコルナに両替し、国境近くのドライブインで休憩しました。チェコでは、おなかをこわすため水道の水は飲まないように言われていたので、ここで水を買うことにしました。

問題6
 ヨーロッパの人々も水を買って飲みますが、彼らがよく飲む水には何が含まれているでしょう。

 答えは、炭酸です。ヨーロッパの人々は、ふだん炭酸水をよく飲むそうです。炭酸水とは、甘みのないサイダーのようなものです。ぼくは、それを飲んでみたくなって、炭酸入りの水の小さいボトルとガスなしの水の大きいボトルを買ってみました。そして、(バス内は飲食禁止でしたが)バスの中で炭酸入りの水を飲んでみました。口に入れたとたん、炭酸の泡が口いっぱい広がりました。やっぱり飲みなれていないせいもあってまずかったです。

 ウィーンからバスに揺られて5時間。やっとレンガ色のプラハの街が見えてきました。バスの中で流れている曲は、チェコの有名な音楽家スメタナが作曲した『モルダウ』です。ヴルタヴァ(モルダウ)川を渡りながら、この曲の一番盛り上がる部分を聴いたときには、最高に幸せな気分になりました。ぼくが、中学2年の時、校内合唱コンクールで歌う曲として初めて出会ってから20数年後、本物のヴルタヴァ川を見ながらこの曲を聴けたからです。これもツアーコンダクターのGOTOHさんの優しい心遣いのおかげでした。

 そういえば、ウィーンのバスの中でかけてくれた『美しき青きドナウ』は、小学校5年の時、生まれて初めて自分で買って毎日のように聞いたレコードの曲だったから、ドナウ川との付き合いのほうが4年も長いのだなあと、ウィーンのことも少し思い出していました。でも、すぐこれから出会うプラハの街のことでぼくの頭はいっぱいになっていました。

 プラハの街は、ヨーロッパではめずらしく、戦争の時の爆撃の被害を受けることなく、中世の町並みがそのまま残されているそうです。だから、旧市街などを歩いていると時間を超えて旅をしているような感じが味わえます。町並みとしては、今回の旅行の中で最も美しく幻想的であるといえるのですが、最も治安が悪く、危険な街でもあるといえるのです。スリ、引ったくり、置き引き、ぼたっくりタクシー、そして、最近では、スキンヘッドでアジア系民族などに暴力を振るうネオナチという集団。気を引き締めていかないと犯罪に巻き込まれる可能性が高い街が、プラハです。でも、世界中から観光客が集まるヴルタヴァ川にかかるカレル橋やプラハ城や旧市街広場などあって、危険をおかしてでも歩きたくなるような魅力的な街が、このプラハなのです。

 ぼくは、プラハ城の近くのレストランで、少し高かったけれども、この旅の中では最もおいしかった料理で昼食をすませてから、同じツアーの人たちとガイドさんに案内してもらって市内の観光をしました。

 プラハの旧市街は、中世ヨーロッパの町並みで、バスなどの大型の車は入れないので、全部歩いて見学をします。930年に造られ20世紀になって完成を見た聖ヴィート教会の迫力のある建物、その中の見事なステンドグラスの数々、プラハ城マチアス門前のフラッチャニ広場から見下ろす赤レンガの町並みとヴルタヴァ川の風景、時間があればいつまでもじっと見ていたいようなものばかりです。

 ぼくたちは、プラハ城から石畳の坂道を下りて、マラー・ストラナ地区にさしかかりました。すると、そこには18世紀からほとんど変わっていない古い町並みが広がっていました。ぼくは、心を躍らせながら、目の前の美しい風景をパチパチとカメラにおさめながら、みんなの後ろの方から歩いて行きました。

 いつしか現地の人らしい2人の女の人が、ぼくたちの後ろからついて来ていました。ぼくは、そんなことには気に留めず、写真撮りまくっていました。
「みなさん、後ろを向かない聞いて下さい。後ろから二人組のスリがついて来ていますので、気をつけて下さい。」
と、ツアーコンダクターのGOTOHさんの大きな声が聞こえました。

 女の二人組は、その日本語に気づいたらしく、石畳をくやしそうに蹴って、どこかに消えてしまいました。
『そういえば、さっきぼくが写真を夢中で撮っているとき、女の一人がそばを通ったなあ。』
と思い、体に付けていた貴重品があるか確かめてみました。貴重品は全部無事でした。ぼくは、ホッとしながら、
『きっとあの二人は、ぼくたち以外にはいない日本人を狙って、財布を盗む機会を伺っていたにちがいない。』
と思いました。
『それにしても、GOTOHさんの勘は鋭いな。』
と、ぼくは改めて感心しました。

 ぼくたちは、プラハで最も観光客が集まるカレル橋に着きました。ここは、600年も前の架けられた古い橋です。橋の上は、歩行者天国になっていて、ストリートパフォーマーや似顔絵書きやみやげもの売りなどが並ぶにぎやかな通りになっています。でも、ここはプラハの中で最もスリの多い場所なので、ぼくは警戒しながら橋の上を歩いて行きました。橋の上から見る夕暮れのヴルタヴァ川の河岸の風景は、趣きがあってとてもすばらしいものでした。

 ぼくたちは、『王の道』といわれているカレル通りを抜け、カレル橋とともに有名な旧市庁舎塔の天文時計の前に来ていました。この時計は、一時間ごとに、死神の鳴らす音とともにキリストの十二使徒が窓の中からゆっくりと現れては、消えていくことで有名です。もうすぐ5時になるので、広場は観光客でいっぱいでした。

 ぼくが、時計が鳴るのを待ちながら、広場の人ごみの中に立っていると、どこからともなくチェコ人の男の人が、ぼくの前に立ちはだかりました。男は日本人目当てのいかがわしい店の客引きのようでした。ぼくが、強い口調できっぱりと
「ノー、サンキュー。」
と断ると、男は急に怖い顔になり、チェコ語で怒りはじめました。男が今にも襲いかかりそうな勢いなので、ぼくは、いつでも逃げられるような体勢を取りました。すると、気が済んだらしく、その男は、どこかへ消え失せていきました。

 ぼくは、とてもいやな気分になりました。でも、すぐに時計が鳴り始め、実際に動いている時計を見られたので、すぐにラッキーな気分になっていました。最後に「コケケッコー。」とニワトリが鳴くのを聞いて、ぼくは世界中から来た観光客といっしょに笑いながら拍手をしました。

 すっかり日も暮れ、バスに向かう途中、ぼくは、
プラハはやっぱり噂どおりの怖そうな街だなあ。』
と思いました。ヴルタヴァ川の対岸には、ライトアップされた美しいプラハ城がそびえ立っています。それを眺めながら、ぼくは
『明日は、このツアーの最終日。危険なプラハの街で楽しんでやるぞ。』
と思いました。

(「『プラハの春』とスメタナ」につづく)