6 オルセー美術館までの道

 わたしがパリで泊まっていたホテルは、パリをエスカルゴの形に例えると、ちょうどエスカルゴの下の葉っぱのところにある「イビス ポルト ドゥ ジャンティーイ」という長い名前のホテルでした。パリの環状高速道路のすぐ外側にあり、ホテルの窓から環状道路がよく見える場所に建っていました。

 わたしが参加したツアーは、新聞で見つけた超格安のツアーでしたので、ホテルはパリの街の中心部から離れていて不便で、また、ホテルの設備も決してよいとは言えないものでした。けれども、わたしはこのホテルでただ一つ気に入っていたことがありました。それは、朝食でした。普通、ヨーロッパのホテルの朝食というとコンチネンタルスタイルといって、パンとコーヒーだけのささやかなものです。ところが、このホテルの朝食は、バイキングスタイル(内容はパン、ハム、チーズ、シリアル、ヨーグルト、飲み物)で、好きなものを好きなだけ食べられるのでした。そして、このホテルのクロワッサンはとてもおいしくて、朝食はとても楽しみでした。このホテルには、4泊したのですが、わたしの朝食は、クロワッサン2個、ハム2枚、チーズ1個、カフェオレ2はい、シリアルとヨーグルトにグレープフルーツジュースというパターンの食事になりつつありました。特に、このホテルのクロワッサンとカフェオレの組み合わせは、最高でした。

 フランス5日目は、一日中、自由行動の日でした。ツアーの多くの人は、ベルサイユ宮殿のオプショナルツアーに参加するようでしたが、わたしは、どうしてもパリ市内を自分一人でまわってみたかったので、RERという電車や地下鉄に乗って市内の観光地に行こうと決めていました。特に、昔、NHKテレビのフランス語講座を見た時に登場したリュクサンブール公園や6年4組の図工の授業で「七頭舞」に絵を描くときに、動きが感じられる絵を描くために紹介したロートレック作「踊るジャンヌ・アヴリル」やドガ作「舞台の踊り子」という絵があるオルセー美術館には、必ず行こうと決めていました。そして、この日も、ホテルの朝食のいつものお気に入りのメニューをたっぷり食べて、初めてパリで電車に乗るので少し緊張して、ホテルを出発しました。

 ホテルを出て少しすると、わたしは「何かを忘れている」と不安に思いました。そして持ち物を確かめました。パスポートと財布は、しっかりと身につけています。ガイドブックや地図や雨具は、ディパックの中に入っています。持ち物は全部そろっていました。でも、何か忘れたような感覚を持ちながら、ホテルから徒歩10分くらいのところにあるはずのジャンティーイ駅に向かいました。ところが、歩いているうちに、駅にどう行ったらいいのかわからなくなり、ちょうど通りがかりの女の人に通じるかわからないフランス語で思い切って聞いてみました。
「ウー エ ラ ギャール ジャンティーイ(ジャンティーイ駅はどこですか。)」
すると、出たとこ勝負のフランス語が通じたらしく、彼女は駅の方向を指してくれました。

 駅に着くと、10枚つづりの回数券を買うために窓口に行きました。自動販売機でも買えるのですが、全部フランス語で書いてあってわからなかったからです。
「カルネ シルヴプレ(回数券を下さい。)」
と言ったら、また通じてしまって、なんだかうれしくなってきました。頭が単純なわたしは、こんな簡単な言葉が通じただけで、何となく自分のフランス語に自信を持ってきてしまいました。あとで、しっぺ返しが来るのも知らないで。

 そして、自動改札を通って、ホームに降りると、電車を待ちました。数分で電車が、駅に着き、わたしは電車に乗り込みました。電車は、朝8時すぎなのにとても空いていました。わたしが、降りようとしていた駅は、4つ目のリュクサンブール駅です。電車に乗りながら、わたしはきん張して電車が止まるごとに駅名を確認していきました。すると、急にホテルを出るときに忘れていたものを思い出しました。それは、トイレでした。ホテルを出る前にトイレに行こうと思っていたのに、初めて乗る電車のことばかり考えていて興奮状態でホテルを出てしまったのです。そして、たっぷり飲んだ朝食のカフェオレとグレープフルーツジュースのため、急にトイレに行きたくなってしまったのです。しかし、もうすぐ、リュクサンブール駅。駅を降りるとすぐに、目的地のリュクサンブール公園があります。そこまでがんばれば、トイレに入れると思ってがまんしました。

 電車は、リュクサンブール駅に到着し、わたしは電車から降りようとすると、ドアが開きません。
『このままだと電車は出発してしまい、あこがれの公園にも、トイレにも行けなくなってしまう。』
とあわてていると、ドアのところに赤いボタンを見つけました。わたしは、それを思いっ切りおしてみました。すると、ドアがパッと開きました。そして、わたしは、急いで電車から降りました。パリの電車は、乗り降りする人がボタンをおしたところだけドアが開く仕組みになっていたのです。電車に乗るときは、降りる人がいたので、自動的にドアが開いたので悩まずに乗れたのでした。

 トイレに行くのは、まだがまんできそうなので、階段を昇り、駅を出て、リュクサンブール公園に着きました。公園は冷え冷えしていて、人影もほとんどなく、静まりかえっていました。公園の中をトイレをさがしながら、歩き回っていると、どういうわけかフランス人らしき人たちが中国の太極拳をしていました。何となく香港と錯覚してしまうような光景でした。でも、ここはリュクサンブール公園。わたしが、パリに来て最も来たかった場所の一つです。しかし、景色をゆっくり楽しんでいられないほど、トイレに行くのをがまんできなくなっていましたわたしは、ひたすらトイレを探しました。けれども、トイレはどこにも見当たりません。

 すると、公園の管理人らしき人が、テニスコートを借りに来た人を案内するために管理室のようなところから出てきました。わたしは、その管理人を追いました。恥も外聞も考えている場合ではなかったので、わたしはさっき自信を持ったばかりの出たとこ勝負のフランス語で
「ウー エ ラ トワレッ。(トイレはどこですか。)」
と聞きました。(後で本で調べたら「ウ ソン レ トワレッ。」が正しかったのです。)すると、その管理人は、とても早口のフランス語で、ペラペラとしゃべり始めました。わたしのフランス語を聞き取る能力はゼロに等しいので、フランス語で答えられても困ります。トイレがあるのなら、駅を教えてくれた女性のようにだまって指を差してくれればいいのです。でも、彼は、フランス語を容しゃなくわたしに浴びせかけます。しかたなく、わたしは、英語に切り換えようと思って、
「ドゥー ユー スピーク イングリッシュ。(英語を話せますか。)」
と彼に問いかけました。すると、彼は
「ノー。」
と答えました。わたしの英語はわかったのに、答えがノーでした。そして、彼は、続けざまに機関銃のようにフランス語をぼくに話し続けます。わたしは、もうなすすべもなく、ポカンとしていると、「クローズドゥ(閉まっている)」と「テン オクロック(10時)」という英語の単語が耳に入って来ました。公園のトイレは、10時まで閉まっているということのようでした。ぼくは、
『まるでパリの公園のトイレは、店のようだ。』
と思い、とてもがっかりしました。そして、
『英語は話さないと言ったのに、話せるじゃないか。』
と心の中で思って、お礼を言って、管理人と別れました。さっきのフランス語の自信はまったくなくなりました。かえって中途半ぱなフランス語は使わない方がいいと思いました。そして、わたしは、リュクサンブール公園を後にして、トイレを求めてさまよい始めました。あこがれの公園をほとんど見学することもなく。

 公園を出たものの、周囲は一般の住宅ばかりでトイレのありそうな店などは見当たりません。わたしは、早足で歩くと、すぐに緊急事態が起こりそうなので、ゆっくりと街の通りを歩き始めました。「そうだ。サンジェルマン通りに行ってみよう。大通りだからもしかしてカフェでもあるかもしれない。」そして、地図を片手に、日本ではパン屋の名前によく使われている「サンジェルマン」の通りを目指して出発しました。体に振動を与えないようなゆっくりとした歩みで。
「ああ、オルセー美術館の開館時間に間に合うだろうか。」

 前日の市内観光のとき、バスに乗ってオルセー美術館の前を通った時、長蛇の列ができていたので、わたしは、美術館が混まないうちに、開館時間の9時に間に合うように、今日はホテルを早く出てきたのでした。でも、この調子だと9時には着けそうにありませんでした。

 リュクサンブール公園からサンジェルマン通りまでは、地図で見ると約 800mくらいです。早く歩けないわたしには、もう3㎞くらい歩いたような感じですが、いつになっても到着しませんでした。パリの道路は全部通りに名前がついているので、交差点を横切るたびに、通りの名前を確認するのですが、「サンジェルマン」という文字はいつになっても出てくることはありませんでした。

 小さな通りをいくつもわたって行くと、右前方に古い教会が見えてきました。サンジェルマン・デ・プレ教会です。この教会は、パリの中で最も古いといわれる教会なので、わたしは、リュクサンブール公園に行ったあとに見学をしようと思っていました。その教会の道路をはさんだ左側には、レストランのような店が見えます。わたしは、ついにサンジェルマン・デ・プレ教会の向かいにあるカフェに到着しました。

 中をのぞくと、座席はたくさん空いています。わたしは、パリのカフェは、初めて入るので、中に入ってどうしたらいいのか心配になりました。日本だったら、ウェイトレスさんが「お一人様ですか。こちらへどうぞ。」と案内してくれるけれどパリの店では案内してくれるのだろうか、それとも自分で勝手にすわっていいのだろうかと迷ったからです。そして、そんなことをもう考えている余裕などないわたしは、決心をして中に入りました。

 カフェの中に入って、突っ立っていると、日本のようにお店の人は、「いらっしゃいませ。」のような言葉を言うどころか、何も声をかけてくれません。しばらく、立って、店の中を見回していても、だれも相手にしてくれないので、わたしは、近くを通ったギャルソン(給仕)に
「メイ アイ シッ ダウン?(すわってもいいですか。)」
と断ってから、案内もしてくれないので、自分で選んだ席にすわりました。そして、すぐにわたしはトイレに入りたかったけれど、何か注文をしないといけないと思って、メニューを見ましした。ゆっくり選んでいられないほどあせっていたわたしは、最初に目に入った「カフェ・クレーム」をたのみました。そして、すぐに店の中を見回して、トイレをさがし始めました。しかし、トイレはどこにも見当たりません。仕方なく、席から立って、店員に公園で使った自己流のフランス語で、トイレはどこかたずねました。すると、今度はフランス語が返ってくるのではなく、店員は指で地下の階段を差してくれました。

 店の地下へ通じる階段を降りていくと、突然フランス人の女性が立っていました。わたしたちは、お互いにびっくりして、顔を見合わせていたけれど、だまっているのも失礼なので、わたしは「ボン ジュール(こんにちは)。」とあいさつしてトイレに向かいました。その女性は、地下のろう下をそうじしていたのでした。そして、わたしは、ついにさがし求めていたトイレに入ることができました。

 トイレから出て、心がゆったりしたわたしは、座席にもどって注文した「カフェ・クレーム」がくるのを待っていました。「カフェ」はコーヒー、「クレーム」はクリーム。だから、きっとコーヒーの上に生クリームが乗っているような、日本でウィンナーコーヒーと呼ばれているものを想像して、期待しながら待っていました。

 しばらくすると、ギャルソンに運ばれて、いよいよ「カフェ・クレーム」が登場しました。わたしは、目の前に現れた「カフェ・クレーム」を見て、『あれっ。』と思いました。どこにも生クリームのようなものはないのです。あるのは、何も入っていないコーヒーカップと別々の入れ物に入れられたコーヒーとミルク。しかも、コーヒーもミルクも、それぞれがコーヒーカップ一ぱい分よりも多く入っています。つまり、「カフェ・クレーム」というのは、今朝からのトイレ騒動の原因となっている、ホテルの「カフェ・オレ」と同じようなものだったのです。しかも、全部飲むとコーヒーカップ2・5はい分くらいあります。たった今、トイレに行ってすっきりして来たばかりなのに、また同じものを飲みたいとは、思いません。わたしは、また飲むとトイレをがまんできなくなってしまうような気になる「カフェ・オレ恐怖症」におちいっていました。でも、注文したものを半分以上残すのも悪いので、わたしは、パリのカフェに一人で入った記念に少しずつ「カフェ・クレーム」を飲み始めました。飲んではみたものの、量が多いため、なかなか「カフェ・クレーム」は減っていきませんでした。時計はもうオルセー美術館の開館時間の9時を過ぎています。もうここでゆっくりするわけにはいきません。なんとか「カフェ・クレーム」を半分以上飲んだので、わたしはこの店を出ようと思いました。

 ところが、今度はお金をどうはらったらいいか、わかりません。そして、フランスでは通常の料金に約10%のチップもはらわなくてはなりません。日本だったら、出口の近いところにレジがあって、そこに行けば、チップも必要なく言われた代金だけはらえばすぐに店を出られますが、習慣がちがうフランスではそうもいきません。わたしは、「カフェ・クレーム」の代金にチップをつけ加えた金額を用意して、他のお客が支払いをして出ていく様子を見ようと少し待っていました。

 しばらく、キョロキョロと店内の様子を見回していても、だれも店を出る気配は感じられません。わたしは、もうこれ以上この店にいるわけにもいかないので、二つとなりのテーブルにすわって、朝食を食べていた一人旅の日本人女性に思い切って聞いてみました。
「すみません。お金は、テーブルに置いていっていいんですか。」
と、わたしがたずねると、日本人の女性は、わたしを警戒した様子で見て、
「わたしも、くわしくないのですがチップも払わなくてはならないから??。」
と答えました。
「チップもいっしょに用意しました。」
とぼくが言うと、
「あっ、じゃあいいんじゃないんですか。」
と彼女が答えました。わたしは、料金をテーブルに置いていこうと思って、店を出る準備をすると、それを見て店員が来てくれました。そして、代金を言われたので、わたしは、チップを含めた料金を渡し、おつりはいらないことを伝えると、店員は
「メルシー(ありがとうございます)。」
と言いました。これで、わたしはフランスのカフェでのお金の払い方を覚えました。外国は、ほんの少しのことで習慣が違うので最初は、たいしたことでないことでもとまどうことが多いと思いました。

 そして、日本人女性にお礼を言って、わたしは店を出て、すぐに、開館がもう始まっているはずのオルセー美術館に向かいました。そして、見学を予定していたパリで最も古い「サンジェルマン・デ・プレ教会」には見向きもせず、カフェを後にしました。後でガイドブックで調べてみると、わたしがトイレを使うために入った店は、パリでも有名な「レ・ドゥー・マゴ」というカフェでした。このカフェには昔、画家のピカソや作家のジイドや哲学者のサルトルや小説家のボーヴォワールなどの有名人が、よく通って来た貴重な店だったそうです。そうとは知らないわたしは、店の雰囲気も味わわず、「カフェ・クレーム」もたくさん飲み残し、とてももったいないことをしたことを後悔しました。出発前に忘れずにトイレに行っていれば、リュクサンブール公園もサンジェルマン・デ・プレ教会もあの有名なカフェも落ち着いて楽しめたのに。

 カフェ「レ・ドゥー・マゴ」からオルセー美術館までは、約1㎞。トイレに行って身軽になったわたしは、今度は足早に、もう開館してしまったオルセー美術館を目指して突き進みました。頭の中は、トイレのことからオルセー美術館のことに切り替わり、わたしは日本の「週間・世界の美術館・オルセー美術館」とういう雑誌で見た印象派の絵画のことばかり考えていました。

 小さな路地を入り、ついにオルセー美術館の裏側に着きました。予想通り、オルセー美術館には行列ができていました。でも、開館9時ではなく、10時のようで、ラッキーなことにまだ美術館は開いていませんでした。わたしは、行列の最後尾に並んで、今朝からのことを考えました。

オルセー美術館までの道は、思った以上に遠かったなあ。」

(『ミュゼ・ドルセー』につづく)