ロダンの名言〜長なわ大会を終えて〜

 大事なのは、感動し、愛し、望み、心を震わせ、生きることだ。芸術家である前に、人間であることだ。(ロダン)

 2月28日の夜、あるブログで見つけたロダンの名言。わたしは、この言葉にひかれ、その日の長なわ大会を振り返っていました。

 第1回長なわ大会の屈辱。それを強く感じていたのは、担任だけで、1年1組の子どもたちは、「次にがんばる。」「最後まであきらめない。」と口々の言っていて、さわやかで、前向きでした。

 ですが、練習が始まると、言葉とは反対の行動が現れる子もいて、なかなか思うようにいきません。「前の人とくっつきなさい。先生の近くから入って、回している人のすぐ横から出なさい。よそ見したり、おしゃべりをしたりしてはいけません。」など、同じことを注意されます。

 それでも、前日最後の練習では、少しずつ連続で跳べる子も増え、長なわを続けて跳ぶ楽しさを感じられるようになってきました。

 そして、第2回長なわ大会の当日。前回、直前の練習をし過ぎて、本番に力が出せなかったことを反省し、練習は、短めにしました。その練習がまた集中していて、すばらしいのです。連続で跳べる子も増え、今までなわに引っかかっていた子も跳べるようになり、今までの最高のできでした。

「あきらめないで練習してきてよかった。」リズムよく跳べるようになった喜びを胸に、子どもたちも担任も心の中でそう思いました。この調子だと今度こそ200回は確実にいきそうです。

「本番が始まるよ。」という担任のかけ声と笛の合図とともに、子どもたちは勇ましく跳び始めました。前半は、練習どおりのすばらしいできです。ところが、後半に入り、再び異変が起こりました。連続とびが引っかかり、上手に跳べる子もなわに入ることを躊躇し、なかなか跳べなくなりました。すると、子どもたちの中から「ハイ、ハイ、ハイ、ハイ……。」の掛け声が巻き起こりました。前回とは違って雰囲気を盛り上げようとする子も出てきたのです。

 けれども、調子を元に戻すことができないまま、終了。結果は162回。目標の200回には届かず、わたしも直美先生も「あんなに練習はすごかったのに。」と再び悔しがりました。そして、本番に弱い担任の性格が、子どもたちに影響を与えてしまい、申し訳なく思いました。

 教室に入り、朝の会を終え、今日の日の思い出に長なわ大会の絵日記を書きました。わたしは、いっしょうけんめい、絵日記を書く子どもたちを見ながら、すべての力がぬけていました。
「子どもたちは、さぞかしがっかりしているだろう。」

 子どもたちが帰った職員室。長なわ大会直後に書いた絵日記を読むと、誰一人がっかりしている子がいないのです。「100回をこえてよかった。」「70回もふえた。」「1回目よりおおくとべてうれしい。」「らいねんもがんばりたい。」全員の絵日記が、長なわ大会でがんばれた喜びでいっぱいでした。

 その絵日記を代表で2名ご紹介します。

・きょうは、れんぞくとびができました。大かいがたのしいなとおもいました。うれしかったです。よくれんしゅうしてよかったなとおもいました。いままでやったれんしゅうのせいかを見せました。

・きょう、わたしは、ながなわ大かいに出ました。あされんをして、本ばんはいいきろくが出てうれしかったです。162かいでした。うれしかったです。いっぱいできてうれしかったです。

 わたしは、すべての絵日記を読みながら、子どもたちの純粋な心にふれ、泣き笑い。本当にかわいくていい子たちです。

 振り返ると、今回の長なわ大会は、担任の気持ちでひっぱっていくのではなく、子どものやる気を優先させてやっていこうと始めました。気がつくと、毎回練習のときはクラス全員集まっていました。練習参加率100%。あまり意欲的でないとき、担任が「やる気がないなら、もうあきらめなさい。」と突き放して言うと、いつもみんな「最後まであきらめません。」という力強い声が返ってきました。そして、どんなに叱られても、練習の後の日記には、いつも「長なわが楽しかったです。」の言葉。

 その結果、長なわ大会を終えて、すべての子どもたちの満足感が得られました。本当にうれしいです。

 大事なのは、喜ぶ子どもたちに感動し、長なわの練習にみんなで取り組む子どもたちを愛し、みんなで記録を更新することを望み、長なわ大会でがんばる子どもたちに心を震わせたことだ。担任である前に人間でありたかった。

 ロダンの名言が心にしみ、今、振り返ると宝石のように輝いていた2月でした。保護者のみなさん、応援ありがとうございました。