荒川静香 / トゥーランドット「誰も寝てはならぬ」 / プッチーニ

 2月23日の夜は、荒川選手のフリー演技の曲目のようになぜか寝つかれなかったわたし。けれども、翌朝は、トリノオリンピックフィギュアスケート女子のフリーがあるので、5時少し前に起きることができました。

 前日、後輩が「メダルの期待のかかるフリーの演技を見たいけれど、起きられるか自信がない。」と言っていたので、後輩にすぐにメールを送りました。

5:04 わたし「もうすぐ ミキティ。」

 後輩からは何の返事もなく、すぐに安藤美姫選手登場。わたしは、4回転ジャンプを成功させてやりたいと祈りながら、テレビを見ました。そして、「蝶々夫人」の曲に合わせ演技を開始。

 安藤選手は、最初のビールマンスピンを終えると、緩やかな孤を描いて4回転ジャンプの軌道に入りました。鋭く空中で3回転以上回りましたが、降り立つ右足がこらえきれずに尻もちをついてしまいました。でも、勇気ある挑戦に、場内の拍手が起こりました。後半に入っても予定した2度の連続ジャンプはいずれも1度目で失敗。3回転ジャンプではよろけてフェンスに手をついてしまいました。

 結局、フリーの得点は、100点に届かず、合計得点140.2で、その時点で第5位。入賞も危なくなってしまいましたが、4回転ジャンプに挑戦した勇気はとてもすばらしかったと思います。

 後輩は安藤選手の演技は見ていなかっただろうと思っていると、しばらくして、メールの返事が……。

5:53 後輩「ふとんからでられません。」

 わたしがまたメールの返事を打っていると、

5:57 後輩「起きました。」

という再びメールが入りました。そして、わたしも送信。

5:58 わたし「もうすぐ 荒川。ミキティ、残念。」

 最終グループを前にして、リンクの氷の整備が行われ、6時を過ぎてSP1位のコーエン選手が登場。でも、プレッシャーに弱い彼女はジャンプで2回も転倒してしまいました。この時、わたしは、『荒川選手は、大きなミスをしなければ、コーエン選手の上をいける。』と思いました。そして、後輩に、

6:18 わたし「ガラスの心臓 コーエン。荒川チャンス!」

とメールを送りました。すると、すぐに

6:18 後輩「こけましたね。」

 コーエン選手の得点は116.63点で、合計183.36点になりました。彼女は、この時点でトップに立ちましたが、わたしは、荒川選手はきっとやってくれると確信して、彼女の登場を待ちました。
 
 そして、イタリア歌劇『トゥーランドット』「誰も寝てはならぬ」の曲に乗り、いよいよ荒川静香選手の演技が始まりました。わたしは、胸の高鳴りを感じながら、テレビに見入っていました。

 荒川選手は、最初に2つの3回転―3回転の連続ジャンプを予定していたそうですが、冷静な判断が光り、これを3回転―2回転できれいにまとめました。続く3回転フリップも成功させ、プログラム全体の流れを作っていきます。

 中盤は、フライングキャメルスピン、スパイラル、ダブルアクセル、3回転ルッツ、2回転ループ、キャメルスピーンを次々と完璧に決めました。

 そして、後半の見せ場。イナバウアーからの3回転―2回転―2回転のコンビネーションジャンプも見事に決めました。会場から地鳴りのようなすごい拍手がわき上がりました。その後も、足替えコンビネーションスピンからストレートステップ、最後に再び足替えコンビネーションスピン決めました。ミスのない完璧な演技で、会場は、この日初めてのスタンディングオベーション。見ている誰もが、メダルは確実だと思いました。

 わたしが、荒川選手は、コーエン選手を超えたと思っていると、

6:28 後輩「点数が気になります。」

というメールが入りました。

 そして、得点発表。125.32点、合計点でもコーエン選手を大きく引き離して、191.34点。会場も、我が家も興奮の渦に包まれました。

 荒川選手に続いて、村主章枝選手。曲は、オリンピック出場を決めた全日本選手権の時のラフマニノフの『ピアノ協奏曲第2番』。本番に強い村主選手です。わたしはできれば、彼女にもメダルを取ってもらいたくて、祈りながら見ていました。

 彼女は、序盤、やや硬めの表情でしたが、ジャンプに成功するたび、観客席から歓声が沸いていました。曲調が変わると、村主選手らしく、哀愁をたたえた笑みを浮かべました。小刻みなステップでは音楽に乗り、場内の手拍子を誘いました。最後の連続ジャンプを決めると、思わず白い歯がこぼれました。締めくくりは得意の高速スピンで歓声と大きな拍手を浴び、再び会場はスタンディングオベーションに……。

 でも、彼女の得点は、思った以上に伸びず、合計得点は175.23。コーエン選手を越えられずに、暫定3位へ。わたしは、全日本選手権の演技だったら、きっともっと得点が伸びていたと思うと残念でたまりませんでした。でも、これで日本選手の演技が全部終わったので、

6:46 わたし「家族や親戚でもないけれど、無事終わってよかったです。荒川すごい。村主点数のびず。スルツカヤどこに入るか。」

というメールを打ち、スルツカヤ選手の登場を待ちました。

 スルツカヤ選手は真っ赤な衣装に身を包んで、最終24番滑走でリンクに現れると、ビールマン・スパイラルを披露するなどして女王の存在感を銀盤でアピールしました。しかし残り約1分で、まさかの3回転ジャンプを失敗。女王スルツカヤ選手の宿願だった五輪金メダルは、たった一度のミスでなくなりました。

 スルツカヤ選手は、合計得点181.44点、総合第3位。

トリノオリンピックの女神は、荒川静香にキスをしました!!」

 その時、あの”栄光の架け橋”の刈谷アナウンサーが、叫びました。

 その瞬間、村主選手のメダルの夢は消え、荒川静香選手の金メダルが確定しました。わたしの目はうるみながらもテレビを見続けました。

6:59 後輩「金メダルおめでとうです。わ〜ん。感激っっ。」

 メールの返事もできないまま、表彰式を見続けました。表彰台に立った荒川選手のすばらしい笑顔。わたしは、遅刻しそうになるので、ここでテレビを見るのをやめ、家を出ました。

 トリノオリンピックで初めて獲得したメダル。それが金メダル。しかもアジア人で初めてのオリンピックのフィギュアスケートでの金メダル。わたしは、感動しながら、車のエンジンをかけました。


 氷のような心をもつ中国の王女トゥーランドット。求婚する男たちに謎を突きつけ、解けねば命を奪ってきた王女でした。しかし、明け方にはダッタンの王子カラフのくちづけによって愛に目覚め、ハッピーエンドを迎えます。

 プッチーニのオペラ「トゥーランドット」の『誰も寝てはならぬ』は、王子が夜明けの愛の勝利を信じて歌うアリアです。

誰も眠ってはならない!眠ってはならない!
あなたもそうだ、王女さま
あなたの冷たい部屋でごらんなさい
愛と希望にふるえる星を!

しかし私の秘密は私の胸にある
私の名前を誰も知ることはできない!
そうではない、あなたの唇に私がいう、光が輝いた時
そして私のくちづけは、沈黙の中に
あなたを私のものにする

逃走する夜!星は沈む!
星は沈む!暁に我は勝つ!
勝つ!勝つ!

 荒川選手は、長野オリンピックに16歳で出場して13位。それからの選手としての歩みは起伏の激しい道をたどりました。その中の一つの頂点をなした一昨年の世界選手権優勝の際に演じたのがこの曲でした。今回はオリンピック開幕間際の先月になって曲目を変更、再びこのアリアで大舞台に挑むことになりました。だからオリンピックの開会式で、テノール歌手のパバロッティ氏が同じ曲を歌ったのに「運命を感じた」のも無理はありません。

 「トゥーランドット」の『誰も寝てはならぬ』は、荒川選手にスケートが楽しいと思わせてくれた曲。スケートの神様は、このプッチーニの遺作となった旋律に乗って、荒川選手に夜明けの愛の勝利を与えてくれました。

金メダルおめでとう!荒川静香選手