アマデウス

 モーツァルトの死をめぐる豪華絢爛な舞台劇を、見事にフィルムに転化した傑作。物語はかつて宮廷音楽家だったサリエリの回想から入り、モーツァルトの人物像を追っていくのですが、そこに様々な音楽的見せ場やミステリーの要素を散りばめ、一瞬たりとも飽きさせない造りになっています。

 この映画を初めて見たのは、「アマデウス」がアカデミー賞をとった年です。当時は、モーツァルトにもヨーロッパにも興味がなく、この作品のよさがわからず、モーツァルトの軽薄さとサリエリの嫉妬深さにショックを受けたことだけを覚えています。

 数年前、この映画の撮影が行われてプラハモーツァルトの住んでいたウィーンのフィガロハウスを訪れて、もう一度この「アマデウス」を見たくなりました。

 この映画に出てくる風景は、プラハのどこかで見たような町並みそのままでした。また、歌劇「ドン・ジョバンニ」の初演が行われたプラハエステート劇場は、外から見ただけだったので、映画で劇場の中を見られてよかったです。また、歌劇「フィガロの結婚」が作曲された実際の「フィガロハウス」は、映画よりもこじんまりとしていて、粗末な感じがしました。

 さて、この映画の内容ですが、2回目にしてわたしにもよさがわかりました。サリエリモーツァルトもこの映画では人間味あふれる人物として描かれていると思いました。サリエリは、かなりの音楽的な才能を持っていたのだと思います。だから、モーツァルトにあれほどの嫉妬心を感じていたのだと思います。彼の良心は、モーツァルトの死後32年間も「自分がモーツァルトを死に至らしめたこと」で自分を責め続けたことによく表現されていました。32年経って、自分の作品は忘れ去られたけれど、モーツァルトの作品は今でも評価され、みんなに親しまれていることで、やっとモーツァルトの天才としての能力を受け入れられたのだと思います。

 人のことは考えず、自由奔放に振舞ってモーツァルト生活も、晩年は苦悩に満ちていました。病床に倒れた時に、初めて周りの人の気持ち目を向けられ、サリエリのすまなかったと誤った時、モーツァルト人間性が出て、感動しました。今でこそ、絶大な評価を得ているモーツァルトですが、当時は彼の感覚が新しすぎて、晩年は世間に受け入れられず、墓地に捨てられるように置かれた彼の最期を見て、天才も気の毒であると感じました。

 この映画を見て、またウィーンとプラハに行ってみたくなりました。そして、まだ見ぬザルツブルグへも・・・・・・。

 みなさんも、この映画を見て、ウィーンとプラハに行って見てください。きっと旅が数倍も楽しくなりますよ。