アテネの夏・ぼくらの夏②

 2004年9月1日。第2学期始業式。先日の登校日には来られなかった子もいたけれど、久しぶりに全員の顔がそろいました。どの子も日焼けしてとても元気そうでした。そして、友だちに会うのが待ち遠しかったようで、すごくうれしそうです。そんな子どもたちの顔を見ていると心が和みます。さて、『アテネの夏・ぼくらの夏』の2回目は柔道の谷亮子選手のお話です。

 「初恋の人にやっとめぐり会ったような感じです」2000年シドニー大会。念願の金メダルを獲得して田村亮子選手は、そう言って、ほほ笑みました。1992年バルセロナ、1996年アトランタ。いずれも決勝戦で涙を飲んできた女王は、シドニーの地でついに真の女王の座を手に入れたのです。あの喜びをもう一度…。彼女は再びけいこに打ち込んできました。昨年12月、プロ野球オリックスの谷選手と結婚した田村選手は、「谷亮子」とその名を変えてアテネへの道をめざしました。「結婚して弱くなったと思われたくない」と語った谷亮子選手。今年のアテネ五輪代表選考会では、4度目の五輪出場を決めました。

 しかし、大会直前の1か月前、彼女は合宿中に左足の腓骨筋腱(ひこつきんけん)を損傷、2本のじん帯も断裂してしまったのです。それは、大会出場も危ぶまれたほどの重傷でした。「田村亮子で金、谷亮子でも金」そう決意を語り、谷選手は、1回戦から一本勝ちで勝ち進み、危なげなく決勝までコマを進めた。決勝戦の相手はフランスのフレデリク・ジョシネ選手。攻める姿勢を忘れず、2大会連続の金メダル獲得を果たしました。五輪2連覇は日本女子史上初めてのことでした。「シドニーのときよりも何倍もうれしいです。谷亮子としてオリンピックチャンピオンになれて、うれしく思います」応援に駆けつけた夫・谷選手の前で幾多の苦難を乗り越えたミセスは、涙ながらに優勝の喜びを爆発させました。けがを乗り越えて2連覇を達成してしまう谷選手の精神力は本当にすばらしいですね。