運命の一曲

 ぼくは、ブルームの旅を見ていて、いつも不安に思うことがある。それは、彼らに武道館に一万人もの観客を呼ぶようないい曲が作れるかということだった。

 まだ彼らの曲を通して聞いたことがなかったころ、、ストリートライブで歌った曲や旅の途中で作った曲に、ぼくは物足りなさを感じていた。

 彼らはストリートライブで客が集まらないときに、ロシアで最も有名な日本の曲『シーネバモーリャ(恋のバカンス)』を歌った。それを聞いたロシアの人々は、彼らの元に集まった。ぼくもハッとして曲に聞き入った。そんな人の心を引きつけるような曲が作れるといいなと、『シーネバモーリャ』を歌う彼らを見ながらいつも思った。

 武道館のコンサートが10月4日と聞かされた時、彼らの心はあせった。この時点では、まだ「運命の一曲」と呼べるようなものは、まだできていなかったのである。

 彼らは、「運命の一曲」ができるまでは、他の人間と接触を断ち、バイカル湖のほとりで曲作りに専念した。しかし、曲作りは難航し、彼らは心身とも疲れ果て、二人の関係もまずくなっていった。

 けれども、それらの困難を乗り越え、やっとの思いで4曲を作り上げた。ところが、彼らがホッとしたのも束の間、日本でアンケートを取ったところ、100人中40人以上は、どの曲がCDになっても買わないという結果が出てしまった。

 彼らは絶望の淵に落とされた。しかし、二人は妥協することなく、二度目の、そして、最後の山ごもりの生活に入ることを決意した。彼らは、アムール川を見ながら、これまでの苦しかった旅のことを思い出した。

 そして、ついに運命の一曲が完成した。『ラストツアー〜約束の場所へ』。この曲がテレビで発表されたとき、ぼくは「やった」と思った。今までの苦しく長い旅のすべてがこの一曲に込められていて、聞いていて、彼らのこれまでの思いが直接伝わってくるよな気がしたからだ。ぼくは、武道館コンサートの成功を祈りながら、テレビのスイッチを切った。

(『最後の心配』につづく)