十字架の丘(リトアニア)

十字架の丘


 リトアニアに来ています。ラトビア国境に近い『十字架の丘』です。

 リトアニアは18世紀末にロシアに併合されました。第一次世界大戦後は一時的に独立しますが、第二次大戦中ソ連軍が進攻。ロシア帝国ソ連併合時代には体制に反抗した者は処刑、シベリア流刑。数十万単位です。

 家族を失った人たちはこの丘にやって来て哀悼の意を込めて十字架を立てました。小さな丘は十字架で溢れんばかりです。

 また、多くの人々が国を捨て、新天地に向かいました。この十字架の丘は、抑圧された民族の象徴なのです。

 日本に住んでいる限り、政治難民となることもなく、体制に反対したからと処刑されたり、僻地の強制収容所に入れられることもありません。仕事を求めて、外国に行く必要もありません。当然すぎて、感謝の気持ちが足りませんでした。島国根性に加え、平和ボケしているんですね。