とてつもない旅の始まり

 4月のある日曜日の午前。テレビをつけていたら、ある二人の若者が、自宅付近からロシアのモスクワ駅に突然連れ去られた。(1999年3月16日)

 その二人とは、デビュー以来出す曲がまったく売れず、レコード会社との契約も切れてしまった『ブルーム・オブ・ユース』というロックバンドの別所君と松ケ下君である。

 その彼らが、ストリートライブをして、生活費や旅行費を稼ぎながら、モスクワからウラジオストックまでの約9300kmをシベリア鉄道で旅をする。そして、運命の一曲を作り、日本に帰って来て、日本武道館で入場料1000円の一曲だけのコンサートを開き、もし一万人以上お客が集まったら、CDを発売し、集まらなかったら、バンドを解散して、音楽以外の職業に転職しなければならないという”雷波少年系『ラストツアー』”という信じられないような企画が始まったところであった。

 ぼくは、かつてシベリア鉄道に乗り、モスクワまで旅をしたいという夢を描いていた時期があった。この企画は、ぼくの過去の夢を実現してくれるようなものだった。また、音楽、旅行、食事というぼくの人生の三大楽しみのうちの二つを満たしてくれるような番組でもあった。

 そこで、ぼくは、今まで日曜日の午前に有名人とともにしていた世界各地の旅(当時、同時間の他局で放映していた『道浪漫』)を一時中断して、ブルームの二人とともにシベリア鉄道に乗って、『ラストツアー』の旅に出発することに決めた。

(『残酷なテレビ局』につづく)